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更新日:2019年5月1日

保育主題 ね   ら   い
信 順 おがみます 「合掌・礼拝」の根底にある心を「恭敬(くぎょう)」という。恭敬心とは、真実(まこと)なるものに対して自らへりくだり、慎み深く敬う心をいう。この心を人間として持つべき共通の感覚として、乳幼児期から育てるものが儀式(仏参)に他ならない。儀式は、習慣化してこそ身についていく。
讃 嘆 たたえます 自己中心性の強い幼児期には、他をほめるということはなかなか難しいもの。日頃口にしている「ナモアミダブツ」が仏さまをほめる尊い行為であることを伝え、それが何よりも素晴らしいことだと教えることで、周りの友だちを認め、個々の持つ良さを素直にほめることのできる心を育む。
歓 喜 つよくのびます 「歓喜」とは心身で共に味わう喜びのこと。「根を養えば樹は自ら育つ」といわれるが、強く伸びていくためには、幼児期に生きる喜びを心身で感じることのできる体験を持つことが大切。子ども一人ひとりの持ち味を十分に認めながら、自らをあるがままに表現できる環境を設定して、自立心を育む。
照 育 あおぎます ひかりは、どうしょくぶつだけでなくにんげんにとってもせいちょうしていくかていできわめてたいせつなはたらきをする。また、にんげんとしてのこころが育つためには、心の闇を照らす真実の光がなくてはならない。子どもがのびのびと自分を表現できる場を与え、個性のままに輝きを増し、自ら育って行けるような保育を心がける。
反 省 かえりみます 子どもは注意を受けても、叱られるとそれで帳消しになったように思う。過ちは、単に言葉で謝っただけで「済み」になる訳ではないので「済みません」と言うが、他人に迷惑をかけた時は素直に謝罪の言葉を口にするとともに、次から間違えないためにはどうすればよいか考えることを習慣化する。
報 謝 はげみます 「有り難う」の反対語は「当たり前」。「ありがとう」は、受けた行為や物を頂けるような自分ではないことを反省した中からわきあがる感謝の気持ちを表した言葉。人に対してだけでなく、全てのものに対しても心を通わせ、感謝の思いを抱き、素直に「ありがとう」と口にできるような豊かな心を育む。
聞 法 よくききます 「聞く」ということは、具体的には「聞いて理解する」ということをいう。「話を聞いた」といっても、聞いた話の内容を自分の言葉で語れなければ、それは聞かなかったのと同じこと。また、私たちの心は無意識のうちに聞いた内容を自分の都合のいいように聞き変えてしまう。話を聞くときは、話す人の眼を見るようにして、分かったときは頷くことを身につけさせる。
領 解 こころがけます 集団生活の中で、自分勝手な行動は周囲の人々に迷惑をかける。集団には、誰もが必ず守るべき「きまり」が設けられている。自己中心性の強い幼児にとって、「きまりを守ること」は窮屈に感じるかもしれないが、「きまり」の大切さをよく理解させるとともに、自らをコントロールする心を育む。
精 進 つとめます 幼児期は、新しいことに取り組んだ際、うまくできないとすぐにあきらめたり、周囲の大人に助けを求めたりする。遊びを通して、はじめはたとえ困難に見えるようなことであっても、そこですぐに投げ出さず取り組むことで、必ずできるようになることを体験させることを通して、あきらめない心を育む。
報 恩 よろこびます 日頃、何気なく目にしているものや事柄には、それが成り立つまでに、自分達の目には見えない多くの支えやはたらきがある。また、それが当たり前ではないことを教え、自分が多くのさまざまな恩恵を受けて生かされていることに気付かせる。
和 合 なかよくします 「争い」は、常に善と善とのぶつかりあいによって生じる。「けんか」は、決して奨励すべきものではないが、起こった時には、お互いの立場になって考えたり、どのようにすれば仲よくできたのかを子どもに言わせたりすることを通して、互いに敬い合い支え合うことの大切さに気付かせる。
奉 仕 てつだいます 「お手伝い」は、見返りを期待しない無償の行為であると同時に、子どもにとっては興味のある遊びの一つであり、社会性を広げる貴重な体験の機会である。身近な行為の中に手伝いがあることを教え、他人から信頼され、一人前と認められたことに喜びを感じることで、自分の存在意義をもてるように導く。