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更新日:2018年7月1日

ありがとうと言える子どもを育てる
・「ごめんなさい」「ありがとう」と言えるこころを育む

 失敗したこと、恥をかいたこと、飲んで記憶をなくしたこと…、出来るだけ早く忘れてしまいたいようなことを今日に持ち越さないで、全て「なかったことにしようっ」て言えたら、きっと落ち込んだりすることもなく、いつも前向きで生きていけるかもしれませんね。でも、お世話になったり、反対に迷惑をかけたりしたことをすっかり忘れてしまうようでは、人間としてかなり問題です。人として生きて行く上で、反省と感謝は車の両輪といった感じです。
「善人ばかりの家庭は争いが絶えない」と言われます。一見「悪人ばかりの…」の間違いではないかと思うのですが、やはりこれはこの言葉の通りです。何故かというと、私たちが何か争いごとをする時、自分は正しいと信じているから争うのですが、もし争っている最中、自分に何らの落ち度があることに気付いたとしたらどうでしょうか。おそらく、うやむやにするか、間違いを認めて謝るかのどちらかで、それ以上争いを続けることはしないものです。私たちは、争いとは「善と悪」、あるいは「悪と悪」とのぶつかり合いだと考えているのですが、当事者同士はそれぞれに「自分こそが善だ」と思っているのです。まさに「善人と善人」とが、自身の善(独善)を主張し合うところに争いが起こっているのです。
自己主張の強い子ども達にとって、自らの過ちを認め、さらに「ごめんなさい」という謝罪の言葉を自ら口にすることはとても難しいことです。なぜなら、この時期はまだ自分を客観視することがなかなか出来ないからです。けれども、だからこそ子ども達にとって初めて経験する社会生活であるところの園生活を過ごすことの意義があるのです。子ども達は、友だちとの関わりを通して、「いつも自分の考えだけが正しい訳ではないこと」「相手の主張にもきちんと耳を傾けること」「自身の在り方を省みて間違えた時は謝罪の言葉を口にすること」などを学んで行きます。特に、集団での生活においては、きまりを守らなかったり自分勝手なことばかりしていたのでは、他人に迷惑をかけてしまいます。そこで、それらの行為に対する注意を受けることで、少しずつ人としての在り方を学び人間力を育んでいくのです。
また、何より子ども達の心に刻んでおきたいことは、「謝ればそれでおしまい」ではないということです。謝罪する場合、私たちは「すみません」という言葉を用いることがあります。これは、相手にお詫びをしたからいけないことが帳消しになって「済み」になるのではなく、言葉で謝っただけでは済みにならないから「済みません」というのです。つまり、この言葉は口先だけの謝罪ではなく、心から深く自らを省みて、自分の行為や行動に対してどこまでも責任を持って対処していくことを表わす自戒の言葉なのです。そのような真の意味での反省を子ども達に求めるのはとても難しいことですが、少なくとも自分の間違いに気付いた時には、「ごめんなさい」と素直に口に出来るよう習慣化していくことは可能かと思われます。園生活の中で、そのような在り方を重ねていく内に、他人の過ちを「いいよ」と許せる寛容な心も育つと共に、「ありがとう」の心も自然と育っていくことが期待されます。